武豊騎手と社台グループ――。
2000年代前半に全盛期を迎え、数々のGIを勝った両者は一時期、関係が薄れていた。ちまたでは「確執」や「絶縁」と表現されるほど関係が冷え込んでいた。実際、GIや重賞で活躍するレベルの馬が武豊騎手に回ることは極端に少なくなった。
ただし、ここ最近、武豊騎手の復調により両者の関係は徐々に回復している。そのことはデータや騎乗馬の質を見ても、明らかだ。
今回は日本の競馬界を語る上で欠かすことのできない両者の“現在地”を探っていこう。
そもそもなぜ関係が冷え込んだのか?
現在地を探る前に両者の関係性が冷え込んだ原因を振り返ってみよう。
理由は諸説あるが、主な原因と見られているのが以下だ。
1.“アドマイヤムーン事件”
2.武豊騎手の故障と不調
事の発端は2007年。社台系の超大物個人馬主・近藤利一氏の所有馬アドマイヤムーンの騎乗方法を巡って、近藤氏が「乗れないな」と武豊騎手を批判したとされる。
以降、武豊騎手は近藤氏所有の馬に一切乗らなくなった。(※騎乗騎手がランダムで決まるワールドスーパージョッキーズシリーズで一度だけ騎乗しているが、これはオーナーの意向が反映されないため、参考外)
超大物馬主との“絶縁”は社台グループとの関係にも少なくない影響を与えたと考えられる。
さらに武豊騎手は2010年3月の毎日杯でザタイキに騎乗した際、落馬事故によって長期戦線離脱を余儀なくされた。復帰後も本来の騎乗を取り戻せず、大舞台で人気に応えられないレースが相次いだ。
これにより、徐々に騎乗依頼が減っていったと考えられている。
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