競馬が単なる賭博・ギャンブルと違う理由を冷静に分析する

前回書いたコラム「「競馬=ギャンブル」と嫌悪感を抱く人へ!「馬券=入場料、観戦料」である」に大きな反響を頂きました。やっぱり、同じような想いを持っている方はたくさんいるですね!

今回は前回の内容を受け、「競馬=ギャンブル」が単純に成り立たない理由を冷静に分析していきたいと思います。

なぜ「競馬=ギャンブル」と言い切れないのか。言葉を調べていくことで、その答えを導くことができます。

目次

競馬=ギャンブルとは言い切れない

まずギャンブルの意味を調べていきましょう。ギャンブルは日本語に訳すと「賭博」や「博打」といった言葉になります。

では、賭博の意味を国語辞典で引いてみましょう。

・金品をかけて勝負を争うこと。かけごと。ばくち。
(goo辞書より引用)

「金品をかけて勝負を争うこと」をギャンブルとするなら、競馬はギャンブルになります。しかし、やや定義が曖昧、あるいは広すぎるのではないでしょうか?

そこで、次に博打の意味を調べてみましょう。

・ 賽(さい)・花札・トランプなどを用い、金品をかけて勝負を争うこと。賭博(とばく)
・ 偶然の成功をねらってする危険な試み
(goo辞書より引用)

注目したいのは2つ目の意味です。「偶然の成功をねらってする危険な試み」。これが博打=ギャンブルの定義とするのであれば、競馬はギャンブルとは言えなくなります。

なぜなら、競走馬は明らかに「花札」や「トランプ」ではないからです。それぞれに個性があり、能力や適正が違います。

つまり、レースの結果は必ずしも「偶然」とは言えないのです。ちなみに偶然の定義は「何の因果関係もなく、予期しないことが起こること」(goo辞書より引用)。

・開幕週は内枠に入った馬の成績がいい
・ディープインパクト産駒は京都でよく走る

これらはデータによって証明できます。明らかな偏りがあるわけです。よって「何の因果関係もなく」という定義には当てはまりません。

ギャンブルは競馬の一部に過ぎない

ギャンブルの定義が「金品をかけて勝負を争うこと」である以上、「競馬=ギャンブル」という認識を覆すのは難しいかもしれません。また、競馬にギャンブル的な側面があることは否定できません。

ただし、

競馬=偶然=何の因果関係もなく、予期しないことが起こること

という式は成り立ちません。ギャンブルという言葉には「偶然の成功をねらってする危険な試み」という意味が多分に含まれています。しかし、競馬がすべて偶然の産物かといえば、それは間違いなく「NO」といえます。(血統、枠順、騎手など、「偶然」と片付けるには無理がありすぎるデータがいくつもあるため)

極論ですが、「競馬=偶然」であれば、「勝利=偶然」になります。つまり、武豊騎手がGIを100勝以上し、通算3700勝以上を挙げていることも「偶然」になります。……そんなわけ、ありませんよね?

まとめると、競馬にギャンブル的な側面があることは事実です。しかし、ギャンブルを「偶然=必然性がない」と定義するのであれば、「競馬=ギャンブル」というのは間違った認識になります。

努力が報われる競技をギャンブルとは言わない

競馬には一定の法則があります。その法則によって勝ち続けることができる以上、完全なギャンブルと定義するには無理があるのです。

仮に競馬をギャンブルと定義するなら、株式のトレードや不動産投資なども立派なギャンブルになります。

法則を見つけるのは難しいミッションですが、見つけることができたら勝つことができる可能性は高まります。競馬に向き合って努力すれば勝つことができるわけです。別の言い方をすると、努力が報われるということはギャンブルではないのです。(偶然はどんなに積み重ねても偶然でしかないため)

以上が「競馬=ギャンブルとは言い切れない」というテーマに関する考察になります。違った意見もあるかと思いますが、こういった考え方もあると受け取っていただけると幸いです。

【文】=西島彩(競馬TIMES編集部)

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